神牛塚とは
昌泰4年(901)、右大臣から大宰権帥に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)は、都に戻ることなく2年後に太宰府で没しました。道真の亡骸(なきがら)は、遺言により太宰府の地に葬ることになりました。亡骸を牛車に乗せて墓所に運んで行く途中、牛が急にうずくまり動かなくなってしまいました。そこで人々は、ここに葬ってほしいとの思し召しだろうと、その場所に葬り、安楽寺(あんらくじ)としました。務めを終えた牛は、帰り道に突然倒れ、死んでしまったため、憐れんだ人々は塚を建てて供養したといわれています。
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